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つなげる

 

 

10生 中野 夏子

 

2012年2月からおよそ1年間、私は交換留学生として中国の北京に留学をしました。留学を決めた理由は、大学で学ぶ以上の中国語を身に着けたいと思ったからです。

 

現地である北京に着いたのは2月でした。気温は常に零下で、寒いというよりも肌が痛いと感じました。なにより、環境が違うというギャップに不安になりました。私の一番の懸念は、誰も知らない土地で本当にやっていけるのだろうか、ということだったのです。

 

満足のいかない語学力を駆使してなんとか学校へは行きましたが、寮や学生登録はスムーズにいかず、案の定不安な気持ちでいっぱいでした。その後寮についてから部屋で泣いた覚えがあります。勉強をしにきたはずなのに、着いて数時間でもうホームシックになってしまったのです。現地で使える携帯電話は持っていませんでしたが、日本の携帯電話を使って泣きながら母に電話をしました。心配をさせてしまいましたが、母に励まされ、やっとがんばろうと決心をすることができました。

 

振り分けられたクラスでは、多国籍の同年代の友人がたくさんできました。母語は違うのに共通語は中国語という、おかしくも不思議な生活でした。北京での暮らしにも慣れ、スムーズに交通機関を利用することもできるようになり、クラスメートと遠出をしたり、他クラスと合同でパーティも開いたりと、徐々に交友の輪を広げていくことができました。 その頃には、来たばかりにあったホームシックはもう感じませんでした。それほどに周りに助けられていたのです。

 

ある程度の期間に至ってから、自分の語学レベルが停滞していることに悩みました。もちろん予習復習は欠かせませんが、それでも補えない部分はあります。テストの点数が思うように伸びず、だんだんどのように勉強したらいいのかわからずにスランプに陥りました。

 

そのとき、友人が私に日本語を勉強している中国人学生を紹介してくれました。わからないことをお互いに聞きあう総合学習を私に勧めたのです。決められた曜日にお互いにそれぞれの勉強をし、助け合うことで語彙力をどんどん増やすことができました。また、同時に自分の間違っている発音を正し、複雑な文法や日常的な言い回しを教えてもらえました。その効果あって、苦手としていた作文では表現力が上がり、先生に評価を頂いた時は、がんばってよかったという達成感を味わいました。

 

一年の留学の中でもっとも辛かったのは、複雑化する日中関係でした。中国語を学びたくてやってきた中国において、今にも緊張の糸が切れそうな状態を味わい、勉強に身が入らなかった時期もありました。

 

しかし周りの留学生や中国人学生に励まされ、小さなコミュニティながらも友好関係について考え続けました。国同士ではまだ難しくても、人同士の交流ならば、お互いの妥協点をみつけられるのでは、と思いました。そしてより現地の人々と交流を深めたいと思いました。実際に現地の人と話をする機会があり、改めて友好関係を築くことに対してまだまだ可能性があることを実感しました。

 

思えば、私の留学生活は常に周りの人々に励まされていました。辛いとき、苦しいとき、嬉しいとき、様々な時間を共有した友人たちのおかげで一年間の留学をがんばりきることができました。今度は私が培った経験を生かしてすこしずつ恩返しをしたいと思います。そして身に着けた語学力を生かし、これからも日中にかかわる事業に関わっていきたいと思っています。

 

 

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