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我的名外大情結

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【和訳】

                                              名外大への私の思い

                                                                                               訳者: 13生 北村瑠依

 

今年、私は日本国際交流基金のお誘いを受け、日本を訪問して三ヶ月間の参観をし、日本社会の実地調査と研究を行いました。その期間、機会があって名古屋外国語大学を訪れましたことを、大変光栄に感じています。名外大は私のもっともよく知る日本の大学の一つであり、私と名外大には深い縁があります。

 

つとに1988年、中国語の大先輩黄済清教授(鄧小平氏が日本訪問をした際の通訳者のお一人)は当時の中国駐大阪総領事館に対して、名外大と友好提携関係を結ぶ中国の外語大学を探すことを提案しました。私は総領事館の依頼を受け、その年名外大を二回訪問し、北京外国語大学との両校の友好交流の合意に達しました。

 

それから今日にいたるまで、両校の友好交流は途切れたことがなく、絶えず発展を続けています。1996年、私は名外大のお招きで短期特別講義を行いました。1998年、再び中西克彦理事長と学長水谷修先生のお誘いを受け、名外大を訪問し、両校の交流事業を拡大し、留学生と研修教師の相互派遣の合意をし、両校の交流を一段と高めました。

 

今回、私は、日本国際交流基金のプロジェクト実行者、「日本人と日本社会」専門分野研究の執筆者として、日本訪問をし、名外大を研究活動の主要な地点としました。私が名外大に来るのは五回目となります。

 

名外大に毎回来るたびに、名外大の発展と進歩をこの目で見て痛切に感ずるものがあります。最初の二回の訪問時に、名外大は山の上にあり、こじんまりとして美しく、環境が静かで、設備が整い、学問をする理想の地だと感じました。また、三回目に来校したときには、設備の完備し広々とした図書館新館が、建てられていました。四回目の来校時、名外大には大学院が設立され、大学院棟が建って、大学のランクもまた一つ上がっていました。今回(第五回目)、たくさんの新築の棟が立ち並んで、 山の上と下の各所に散在していました。学校はもとの短期大学を正規の四年制大学――学芸大学に昇格させました。一つの学園に同時に二つの大学が存在する、これは素晴らしい発展です。

 

中国語学科も近年際だった成果を上げており、これも私を感慨深くさせます。二つの点に深く感ずるところがあります。第一に、研究の気風が濃いことです。どの先生も自分の研究課題をもち、そして研究成果を教学の中に具体的に表し、それによって教学のレベルを高めています。この点は中国の教師が学ぶに値することです。第二に、教学上の高い効率的運営です。中国語学科には八名の教師と一名の助手と若干名の兼任担当教師がいるだけですが、三〇〇名近いさまざまの受講生の教学を担当し、教学の質は絶えず向上しています。私は10月に行われた中国語スピーチコンテストの行事、中国語ラウンジの活動に参加し、学生のレベルが高いことを感じ、教師の教学にも満足しました。こうした高い効率の教学上の運営も、中国の同業者が学ぶに値することです。

 

私は、両校が友好関係を締結し交流発展を推進する過程の中で、若干のことをしましたけれども、しかし私の仕事に対する名外大の熱心な支持と援助が私を深く感動させます。とりわけ今回、実地調査の仕事を行うために、中国語学科の先生方は非常に良好な仕事の環境を用意してくれました。実地調査の計画の確定、図書資料の利用から、日常生活にいたるまで、周到なお世話をしてくれました。特に、先生方は忙しい中から貴重な時間を割いて、一連のインタビュー活動、そして学生との接触を手配してくださり、今回の訪問に予期していた成果をもたらしました。ここに、謹んで心からの感謝の意を表し、そして名古屋外国語大学と中国語学科が新しい発展と進歩を絶えず獲得するようにお祈りし、北京外国語大学との交流提携が長足の進歩と発展を得ることを祈念いたします。